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2002年7月15日

ゆはら季一郎

 7月15日は日本共産党の創立記念日である。1922年7月15日、日本共産党が結成された。人間でいえば80才となるが、政党としては少年期かせいぜい青年期ではないか。この創立記念日には東京で大規模な集会が行われ、不破さんや志位さんの演説や記念講演を読むのが党員の喜びでもある。そして党員や赤旗を増やして、共産党に祝儀を送るのもまたそうである。
 私は、市議会の視察で7月16日に福島に行った。東北新幹線の福島駅で降りたら、やたら飯坂温泉のポスターが目に入った。一回も行ったことのもない温泉であるのに、なぜか懐かしく感じられた。創立記念日の翌日であることもあってか日本共産党の活動とむすびついての記憶である。しばらく駅構内を歩いていてやっと気が付いた。それは日本共産党の第何回かの大会が開かれたところであった。非合法の日本共産党にとって、大会を開くにも命がけの時代である。日本蓄電池製作所の慰安旅行を装って、開催されるのである。あとでこれを知った特攻警察の毛利基が、地団太ふんでくやしがったそうだ。なんの本で読んだか忘れたが、そんなことが福島駅から30分のところにある飯坂温泉であったことが思い出され、ひとり党の歴史に想いをはせていた。
 翌日の毎日新聞のコラム(余録)は、日本共産党の本部ビルが完成し報道陣に開放されたことと、党創立記念日にふれていた。余禄は次のように紹介している。1922年7月15日午後、東京渋谷の民家の2階に8人の男たちが集まって、約3時間ひそかに会合した。この集まりが日本共産党80年の起点である。党員は何人いたのか。翌年3月の会議で堺利彦委員長が「細胞数は14となり党員・党員候補は58人に増加した」と報告している。勿論知っていることであるが、毎日新聞に教えてもらうのは初めてである。
 その後しばらく飯坂温泉が気になって仕方ない。我が家の小さくて狭い図書室を探した。あった、あった。少しかび臭いが「日本の暗黒『五色の雲』実録・特別高等警察」の本である。
 読んでみれば、1926年12月、日本共産党第三回党大会が山形県五色温泉で行われた。山形県五色温泉と福島県飯坂温泉は奥羽本線とハイヤーを使えば2時間半(当時)ある。特高の目を逃れるため日本共産党立党宣言、米国前衛党規約、政治運動テーゼなどの清書は、この飯坂温泉亀谷旅館で行われたのである。詳しくは省くが、当時の若い指導部は綿密かつ大胆、用意周到な計画により第三回党大会を成功させたのである。
 「みごとにして、やられた・・・。」あの小林多喜二を数時間の拷問で死にいたらしめた警視庁毛利基は悔しがったのではないか。
 私はここでも特高警察の執念に驚いた。毛利基が大会の開かれた五色温泉の「宗川旅館」を調べるのはおよそ9ヶ月後のことである。この調査が驚くほど徹底しているのである。接待にあたった係女中の阿部トクは「慰安旅行」の15人の男について「顔は青白かったか。学者か作家のように」「鼻筋は通っていたか」「背丈は? 頭の髪は?」「一番の実力者と見えたのはだれか」などの質問・尋問をうける。それは人物特定に集中していたようだ。また毛利は「火鉢の灰」にこだわった。燃やした大会議案書文書は、高さにして約30センチの灰をつくった。毛利は「灰」の内容はどんなものであったか。「日本共産党」という文字はなかったか。ねばねばと続く尋問のなかで、トクは泣き出してしまった。毛利が宿をたってから、間もなくトクの精神は変調となった。男をみると「この助平野郎!」と怒鳴り、「あっちへいけ」と手を振る。ははは、はははと乾いた声で笑ったという。旅館の夫婦はトクの身を案じ、専門病院に入院させたという。特高警察の非人間性にあきれるとともに、怒りを感じざるをえない。
 いま、党大会は22回を数えている。五色大会のような苦労はないが、党を大きく強くするための苦労はまだまだ続くだろう。そして、近いうちに必ず「国民が主人公」の原則が花開き実を結ぶ時代がくるであろう。そのことを強く確信した党創立80周年の7.15であった。

 
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