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議員の書き下ろしコラム
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ご冥福を祈りながら

つばきの利恵

 今年、私の人生の中で大切な二人の方を亡くしました。
 お一人は、33年前「銀行の中に我々が居るだけでも意義があるのだよ」と、長男を連れての会議に励ましてくれた最初の支部長、75歳。もうお一人は、明石に来て22年、当時の支部長80歳です。
 昭和の激動期を生き抜いて、日本共産党にめぐり合い、社会進歩に貢献されました。晩年は体調を崩され同じように活動は出来ませんでしたが、いつも温かい助言をいただきました。お二人に共通する人間性は、何だろう・・・後者の方の手記を御紹介します。

 「第二次世界大戦当時の私は、今の中国東北地方、旧満州富錦というソ満国境関東軍独立守備隊の一員であった。内地ではB29の空襲を受け、南方では玉砕、また玉砕といったニュースを聞いているのに、ここ満州ではどこの国が戦争をしているのかと、全くのんびりしたものであった。
 当時私は、3年兵、いわゆる軍隊では神様的存在である。善い神様であればいいのだが多くの古年兵は、下級兵に対し権力を傘に、横暴で毎日いじめることを楽しみにしている悪い神様である。
 軍隊というところがどんなに恐ろしく、人間としてまったく自由のない世界であるかを知らず、天皇や国のためと、思い込まされ教育されてきた若者達の顔を見るのが、かわいそうでならなかった。天皇の名のもとで、一切の人間としての権利を奪われ、上官や古年兵の言うままに従わねばならないのである。もちろん私自身も死ぬ思いの苦しみで2年間耐え忍んできたのである。(その間、上官暴行罪で、軍法会議に廻されるようなこともあった)
 昭和20年8月8日ソ連参戦。わが守備隊も応戦、玉砕寸前。私達も幾たびか生死の中をくぐりぬけ、九死に一生を得た。
 やがて敗戦。ソ連軍の捕虜となりシベリヤ・ハバロスクで4年間の抑留生活。入ソ当時は、軍隊機構そのままで、階級制度がはびこり将校達は、横暴の限りをやりたい放題にやったのである。やがて私達兵士が、こらえにこらえてきた不満が爆発し、反軍闘争さらに民主主義運動へと発展して行くのである。
 また機会があればシベリヤにおける運動や身近に接したロシア人の人間性等についても書きたいと思っている。」と、1984年10月号の後援会ニュースに寄せていただいたものです。捕虜生活の中で、労働はもちろんだが、学習時間もあり共産主義・民主主義についても学んだと言われていました。ロシア人は、捕虜の我々に、「君達は労働者だ。一番に食事をする権利がある。」といって、並んで配給を待っているロシア人の一番前に連れて行ってくれたことを話してくれました。旧ソ連が、どんどん社会主義・共産主義とは異なった方向へ進むのも嘆いておられました。49歳で入党、32年間の活動に心から敬意を表し、ご冥福をお祈りいたします

 
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